浮世夢の如し

  二十二.曛黒逼りて・前編

 価値の無いものに居場所は無い。
 要らぬものは放擲される。
 かつて亜父と慕った男から自身が受けた屈辱的な仕打ちを、行き場を失った人間たちが辿った末路を忘れたことはない。男――呂不韋の冷酷さは桎梏となり、やがてわたしは彼に見放されることを最も恐れるようになった。
 あの御方の威容を損なってはならない。従順で慎み深い振る舞いをしなければならない。この身を拾い上げてくれた恩義に報いなければならない。価値のあるむすめでいなければならない。価値のあるむすめでいなければならない。価値のあるむすめでいなければならない。
 そうすることだけが自分が生きていても良いたったひとつの理由であるのだと、あの頃のわたしはきっと固く信じていた。

 また半年で戻ってきてしまった。
 ふとこの現状が、離縁を言い渡されて呂不韋邸に戻ったあの時の苦い記憶に薄らと重なってしまい、余計に沈鬱な気持ちになりながら軍師学校の長い石階段を昇っていた。頭を擡げて前方を見遣ると、舂きはじめた西日が、重厚な実榻大門に整然と打ち込まれた門釘を禍々しく照らしている。息を整えるために一旦歩みを止め、望楼を仰ぎ見て哨戒兵に合図を送れば、やがて鈍い音を立てながら門扉が開いた。
「おお戻ったか
「はい。ただいま」
 針の筵ではなさそうだ。
 少なくとも出迎えてくれた門下生たちは穏やかな笑みを浮かべてくれている。
「荷物は豹司牙様の指示で部屋に運んでおいたぞ。貴様の騅も無事に戻って厩舎にいるから安心しろ」
 世話焼きな兄弟子のひとりがそのように教えてくれた。
 どうやら本隊も洛邑からの旅程を無事に終えることができたようだ。愛馬の白駘もなんとか忍従してくれたらしい。あれは元々、軍馬どころか駄馬にもならないと言われていたほどなのだから、洛邑までの道程を往復できたことも奇跡に近い。疲れが祟って動かなくなれば、途中で乗り捨てられるのも已む無しと半ば覚悟をしていたのだが。
「すみません。明日には荷物を撤収致しますので」
「急ぐ必要は無かろう」
「わたし、もうとっくに軍師学校を卒業していますので、早く出ていかなければ」
「官舎に移りたいならそうすれば良いが、また面倒事を引っ提げて戻るくらいならば、初めからここに居た方が殿も御安心召されるに違いない」
 彼は当然のようにそう言った。
(人のことを問題児みたいに)
 と心の中で思ったが、実際に何度も面倒事を起こしてしまっていたから反論はできない。厄介な問題を招来するつもりは露ほども無いのだが、しかし不運な巡り合わせばかりの身であることは理解している。
「また此処に住まわせていただいても良いのでしょうか。その、ご迷惑をお掛けするのは心苦しく」
「どうしても気にするならば適当な男のところに再嫁したらどうだ。年増だが、貴様ならば貰い手はいるだろう。機を逃すなよ」
「余計なお世話です。その予定はございませんので」
「ほう。言い返すようになったな」
 もっとも兄弟子は、わたしの「自分のような女を今更嫁に迎えようとするような家に阿るつもりはない」という存念を承知している。その上で遠回しに、ここに居着くことを認めてくれているのだ。かなり無遠慮ではあるが。
 暫し立ち話をしていると共に帰参した黒騎兵の長が周囲の人間を追い立てるように視線を巡らせた。わたしは慌てて兄弟子に揖をする。
「これから右丞相との面謁がありますのでそろそろ」
「引き留めて悪かった。戻ったらゆっくりと長旅の疲れを癒すと良い。これからも頑張れよ
「はい。ありがとうございま――」
「ああ違った、軍部尚書丞殿」
「? 今なんと」
 問い返すよりも先に踵を返して学舎へと戻ってゆく兄弟子。その背を追いかけることもかなわず、わたしは玄端に召替えをしてくるよう促された。これから府城の丞相室へと参じなければならないが、あまり遅くなってしまえば宮門が閉ざされてしまう。しかし昌平君も政務に忙しい御身であるから日を改めてもらうわけにもいかないのだった。

 昌平君は信念と自恃に富んだ人物だ。たとえば呂不韋との袂別を決然と宣言した加冠の儀の一件は未だに人々の記憶に新しい。
 我執や驕慢さに囚われた愚かな貴顕たちとは一線を画す存在であることは推して知るべし。己に利が無いと判じたからこそ四柱の立場を未練げもなく捨てたその不羈さを、潔さを、わたしは心から慕い信奉していて。それと同時に悍ましさをも感じていたのだ。この身が彼にとって無価値な物と成り下がった時には、簡単に、弊履の如く打ち捨てられてしまうことだろうと。
 そして今日こそがその来たる日なのだと臍を固めて府城の門を潜り、丞相室へと赴いた。黒檀の牀に座る昌平君の御前に折り敷いて帰朝の辞を述べる。何も為し得ていない人間の空疎な言葉を、師は心の裡に何をお考えになりながら聞かれているのか。わたしには未だに彼の底意を汲むことはできていない。この不肖な弟子に私兵を投じてまで何を得ようとしているのかすらはかりかねる。しかしわたしは洛邑で何も為し得ることができなかった。それどころか任期を全うする前に咸陽へと呼び戻されたこの状況を鑑みれば、昌平君が下す己の評価は想像に難くない。期待外れも甚だしい、そう思われているのだろうと考えるだけで、胸に鉛が埋め込まれたような息苦しさを感じた。
 ついぞ面を上げることはできなかった。

 挨拶を終えて宿所へ戻ろうとしたわたしを、昌平君はやにわに引き留めた。
 李斯らを巻き込んだ件のことで相応の処分を言い渡されるのだろうと半ば諦念に満ちた表情で返事をすると、昌平君は控えていた侍中に目配せをした。合図を受けた男はわたしの眼前に一翰の書と剔黒の鞘に収められた刀子を降らせる。口宣であった。
 足下から鳥が立つ、とはこのようなことか。
 暫しの静寂の後、瞠っていた目が乾きを訴えていることにはたと気付いた。
 丞相の御名御璽が付された一尺一寸の書にはまごうことなき己の名と、無位から軍部尚書丞という位へと直叙する旨が記載されている。
 ――どうして。
 という言葉が口を衝いて出そうになった。政事に疎い自覚はあるが、それでもこの異例の昇官を手放しで喜ぶほど愚かではない。昌平君には裏の目的があると疑って然るべしである。師の思惑をはかるべくまじまじとその面貌を仰ぎ見れば、眼光鋭い視線に射すくめられる。かち合った視線は揺るがない。この状況でわたしがどのような反応をするのか、試されているような気さえした。
「過分の仰せにございます」
 唇を震わせながら、やっとのことでそう絞り出す。
「しかしながら相応の官途を経ず栄誉に浴するとなれば、それは礼容にそぐわぬことです。高官らからの顰蹙を買う羽目にもなりましょう。何卒御再考を」
「元はと言えば逐客令の発布に賛成していたその高官らの所為で然るべき官途を踏むことができなかったお前を、奴らが臆面もなく公然と非難するとも思えぬがな」
 さすればそれこそ自縄自縛に陥る。
 筋の通った昌平君の弁口に対して何の反論材料も持ち合わせていないわたしはただ閉口することしかできなかった。なんとか辞退申し上げたい。信頼に足る御方だと信じていた。否、今も変わらず信じている。これまで賜った御恩も情けも、決して偽物だとは思わない。けれどもこの名状し難い不安は何だ。
 ――人を疑い、欺きながら生きてゆく術を学ばねば、自ずと身を滅ぼすことになる。まずはお前をそのような道へと唆した人間が、誠に信じるに足る者か。よく考えるべきだと思うがのう。
 かつて亜父と慕った男の雄弁な諭告がありありと蘇る。あの言葉がただの脅しであるとは思えなかった。誰に何と思われようと悠揚迫らざる態度でいるような人間が、わたしという取るに足らない小娘に斯様なつまらない仕返しをしようとするはずもないだろう。あれは一介の商人から相国という大身にまで成り上がった男の本心に違いない。ともなれば。
「魏戦後の咸陽宮における密使摘発、或いは合従軍戦の防諜。これまでの労を多とする。お前の助力無くば秦は諜報戦において大きく後れを取っていた」
 それだけで突拍子も無く高い官職に補せられることがあるものか。わたしは今一度、昌平君を見遣った。どれほど綺麗な言葉を並べ立てようとその者の本心というものは表情や口吻、仕草といった機微から自ずと伺い知れるものだ。
 …… ……。しかし何も読み取れない。師の瞳は高邁な志を抱く澄んだ玉のようにも見えれば、抜き身の刃のような鋭さを湛えているようにも、はたまた瞳に映る燭火の光をすべて飲み込んでしまうかのような、どこまでも深く昏い円にも見える。
 わたしは無言のまま侍中から刀子を受け取った。こうなってしまった以上、己が置かれた立場的にも丞相の下命を諾するしかないからだ。しかし謝辞を述べることはしなかった。それがせめてもの意思表示である。

 時は流れ始皇十一年の春を迎えた。
 底冷えするような咸陽の冬も漸く終わりを迎えようという頃、出先で偶然にも蒙毅と邂逅した。郊外の狭い道を白駘の背に跨ってゆっくりと進んでいると、まさに馳せ違おうとした車の窓から彼が顔を覗かせたのだった。

 と唐突に声を掛けられ慌てて馬を停止させたわたしに、彼は柔和な――しかしどこか疲れを滲ませているような表情で「驚かせたかな」と笑いかける。長らく東郡の治政に盡していたこの兄弟子がどうしてか真冬の候に帰朝したという噂は聞いていたが、不思議と彼と顔を合わせることはおろか姿を目にすることさえ一度も無かった。かなり頻繁に軍師学校と官衙を行き来していたのにも関わらずだ。
「どこに行っていたの?」
「漸くまとまった休暇をいただいたので、時季的には少し早いですが父様の掃墓に。もう十年が経ちます」
 正月に執り行われた拝賀の儀と元会から始まり、人日、そして元夕とこのところ中央官たちは王宮で催された祭祀の準備に大童であった。かつて嬴政の地位が呂不韋に脅かされていた頃とは打って変わって、加冠の儀を終え明確に親政を握るようになってからは宮中行事が大々的に執り行われるようになったのである。軍部に配属されたわたしにとっては日々の業務の埒外ではあったが、礼部に応援を求められて断るわけにはいかず、やっと解放されたのが数日前のことだった。
「十年か。早いものだね。しかし微服しているとはいえ護衛もつけていないのはいただけないな」
「申し訳ございません。……蒙毅様はこれから御邸に?」
「うん。僕もこの頃ずっと働きづめだったから、たまにはね」
 そう言って蒙毅は苦笑しながら重たい溜息を吐いた。
「いくら都が近いとはいえ君を独りで帰すのは不安だから、一緒においでよ」
「わたしは大丈夫ですのでお構いなく。お疲れのようですので、ごゆっくりと休まれてください」
「皆、に会いたがってるんだ。父上はもとよりこのところは兄上も中々戻られないから、きっと寂しいんだろう」
 兄弟子の言葉に、蒙家の懐かしい面々の顔が脳裏に浮かぶ。思えば毒を盛られた時に助けてもらった礼も十分にできていなかった。新たな年を迎えた挨拶も兼ねて伺うべきだろうか。
「ご迷惑でなければ良いのですが」
「今更そんな心配なんてしなくて良いんだよ。歓待される理由は山ほどある。君に恩がある者ばかりなんだから」

 蒙家の邸は相変わらず質朴であるが、どこか心地良い温かさに満ちている。蒙驁を喪ってもうすぐ丸四年。あの日かつてない失意の底に沈んでいたこの場所は、徐々に活気を取り戻しつつあるようだ。
「皆様ご健勝のご様子、何よりでございます」
 懐かしい顔ぶれを前にそのような口上を申し述べると、ある老使用人が随喜の涙を滲ませながら、額づかんばかりの勢いでわたしの指先をぎゅっと握った。雪よりも冷たいてのひら。ぱっくりと割れた無数の皸には鮮烈な朱が滲んでいる。驚きつつも媼の顔をまじまじと見遣れば、穀物蔵の管理を任されている女婢であった。わたしがこの邸に訪れてから初めて手を延べたまさにその者で。あの時はただでさえ食糧が不足する春の終わりごろに長らく蒙驁の給地から食糧が届かずにいて、倉廩に蓄えていたものもいよいよ底を尽きようとしていた時だった。悲痛な表情を浮かべる彼女を見ていてもたっても居られず、代わりに市に出向くと申し出た覚えがある。どうにか心配させぬようにと、
 ――粟を一石、確かに承りました。どうかご安心召されますよう。自慢ではございませんが、縁あって呂不韋様の邸に迎えられる以前は辛うじて露命を繋いでおりましたから。人や物の、質の善し悪しなどは概ね判断できると自負しております。
 などと大言を吐いて、実際に良い商人に出逢えたまでは良いものの。結局は紆余曲折あって大怪我を負って邸に帰ってきてしまい、彼女たちにますます心配をかけてしまった。
「よくぞ……よくぞご無事で、お戻りになられました」
 とむせぶ媼を見ていると、自然と己の手の甲に生温かい雫がぽつ、ぽつと垂れた。無意識の落涙は、天涯孤独なこの身を案じてくれた人が居たという嬉しさもさることながら、蒙家という安息の場所に帰ってきた事実に至上の幸福を感じたがゆえのものだろう。何物にも囚われる必要が無い、この上ない解放感に、わたしの心は呪縛を解かれたかのような清々しい気持ちに満ちていた。
 一方の蒙毅も少し離れた場所で人に囲まれていた。その姿を見ていた使用人の一人が喜色の滲んだ声で呟く。
「殿や若君は申し上げるに及ばず、今や蒙毅様も一廉の軍略家になられて……これも亡き大殿様からいみじくも受け継いだ天性の才でございましょう。お蔭様で蒙家は安泰でございますよ」
 するとその者はおもむろにこちらへと視線を寄越し、にんまりとしながらひそやかな声で囁いた。
「ところで様。ここだけのお話ですが……蒙毅様とは好いご関係でございますの?」
「……え?」
「いつぞやの正月も連れ立ってお越しくださっておりましたから」
 驚き固まっているとまた別な者が「そろそろ次代のことも皆一様に心配でございまして」と一言添える。どうやら兄弟子の厚意が変な誤解を生み、その噂が独り歩きしかけているらしい。期待に満ちた視線に囲まれて、途端に全身の血がカッと煮え滾るような気恥ずかしさを覚えた。
「誓って全く何も無いです」
「左様でございますか」
 するとそのような会話を交わしていることを露も知らない蒙毅が、少し離れた場所から「そうだ。」と自分の名を呼んだ。
「如何いたしましたか?」
「君の寝所はしつらえてもらっているところ。ほら、急だったからさ。それまで僕の部屋で少し待ってて」
「あ……はい」
 再び周囲の注目が自分に集まる。わたしは居た堪れなさに背を押されながらその場を去った。なんとも間が悪い。

 白駘を厩舎へと連れて行き、言われた通りに蒙毅の部屋を訪ねると、彼は牀に凭れて深く俯いていた。声を掛けるべきか迷っていると、静かに顔を上げて、やや焦点の合わない目でこちらを見る。
「ああごめん。少しまどろんでいたみたいだ」
「よほどお疲れだったのですね」
 普段、兄弟子はたとえ幼い徒弟ら相手でも慎み深い態度でいるような人だった。砕けた姿を見たのはほとんど、初めてだと言って良いほどに。
「このところ、いったいどこで何をされていたのですか? 朝賀にも出席されていなかったようですし。確か蒙毅様だけでなく先生もいらっしゃらなかったような」
。僕は君への隠し立てが得意じゃなくて」
「あ……すみません。わたしってば」
 それ以上は詮索しないでくれ、ということだ。今や蒙毅はほとんど昌平君直々の命を受けて動いているようなもの。重要な密勅の一つや二つ、下賜されていても不思議ではない。いつまでも軍師学校時代の気分でいてはいけないと、己の軽率な言動を恥じた。
 蒙毅に客座へとすすめられて腰を下ろすと、羊の毛皮で作られたふんわりとした敷物が冷え切った手足を優しく包んでくれる。
「寒いな。何か温まるものを貰おうか」
 彼の一声で外に控えていた使用人が茶を運んできたが、わたしたちの会話を聞いて機を窺っていたのだろう、外の寒風に晒されてすっかり冷めてしまっていた。沸かし直そうとする使用人の手を遮って、蒙毅は自らの手でわたしに振る舞う茶を煮た。
「旧年は色々なことがあったから先生方も御多忙のようでね。洛邑にも情報は届いていただろう。李牧と斉王の来秦に蔡沢先生の逝去と、事態は大きく変わっている。外交面の立て直しも必要だ」
 先程から畏縮していたわたしを気遣うように、蒙毅はあまり触れたくないはずの話題を敢えて俎に載せた。始皇十年は大きな戦こそ無けれども、政情の面からすれば激動の年であったと言って良い。まずわたしが洛邑へ発ってまもなくして、趙の宰相である李牧と、斉王建が共に咸陽へとやって来た。決して穏やかではないこの時世に、他国の宰相だけならばまだしも、斉王の御来駕にはみな腰を抜かすほどに驚いたという。それほど信じ難いことなのだ。洛邑に居たわたしはその委細を知らない。嬴政と斉王建を引き合わせた蔡沢がまもなくして亡くなったという事実を綴った報せだけが任地に届いたのみである。
 蔡沢は燕の生まれであり、また古くから斉王建との親交もあったそうだ。遠交近攻における大命題は東国との宥和であることを考えると、燕と斉、二つの国と交誼を結んでいた蔡沢は秦の外交官として最も重大な役割を果たしたと言えよう。
 ゆえに蔡沢ほどの御方が抜けてしまった穴を埋めるのは容易ではない。何か代わりとなる手段を用意しなければならないが、それだけに注力するわけにもいかない。軍事改革も、隣国とのせめぎ合いも手を抜くことは許されない。課題は山のようにある。そして残された時間はごく僅かだ。この現状はわたしも理解している。
「君も軍部の人間になってしまったからには、いずれ……」
 蒙毅は言葉を詰まらせた。いずれ――わたしもその中に身を投じることになるのだろう、と言いたいのだろう。知っていたことだ。覚悟は、有り体に言ってしまえばまだできていないかもしれないが。
「御心配には及びません、危険が伴うことはもとより承知しております。ですがそれよりも今は嬉しい気持ちの方が大きくて。ずっと叶えたかった夢がようやく形になったのですから」
 けれどもそんな不安を打ち消すような愉悦が、確かにわたしの中にはあった。ずっと守られてばかりいた自分がようやく、誰かの役に立つことができるのだと。
「蒙驁将軍と、そして貴方様がわたしに気付かせてくださった夢ですよ」
……」
 かつて愚かであった自分。大切な人の死を前に、何もできなかった無力な自分。長年苛まれ続けていたその悔恨は、やがてわたしを中央官吏という立場にまで押し上げた。喜ばしいことだ。しかし蒙毅はぽつりとわたしの名前を呟いたきり閉口し、束の間、わずかにその美しい眼を歪めてきゅっと眉根を寄せたのだった。
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