砂利を踏むたびに甲高い音を立てて軋む歪んだ車輪と、襤褸布に包まれた土埃まみれの積み荷が、わたしたち親子のみすぼらしさを際立たせていた。
旅の足しにと、魏に住まう父の知己が賑恤してくれた布幣は、もうじき尽きようとしていた。この馬車を秦の王都・咸陽まで運ぶことを考えると、これからますます飢えを耐え凌ぐ日々が続くことだろう。運良く仆れずに咸陽に到着できたとしても、落魄の父娘が生き延びる算段は無いに等しい。しかし、なんとしてもこの異境で契機を得なければならなかった。
父は咎を背負っていた。
国に追われ、人に追われ、列国を経て逃げ延びた先は中華の最西。わたしたちにはもう行く当てが無い。唯一、手を貸してくれたのは父と同じ黥をした魏の男であったが、彼も子供を抱えながら必死に生きていた。頼ることなどできなかった。
明日をも知れぬ身である。だが父はわたしに心配をかけまいと、愁色を見せることは一度も無く、それどころか悲境にあっても笑顔を絶やさなかった。妻を喪い、二度も故郷から放逐されたその苦衷の一片すら悟らせまいとでも言わんばかりに。
刺すように冷たい冷気が頬に吹き付け、息の詰まるような不安をますます助長させる。それでも決して足を止めずに、西へ西へと歩き続けた。隣を歩く父といつか平穏に暮らすことをひた願いながら。
一寸先も見えない杳とした世界の中で、この男の存在だけが唯一の光であった。
…
鼻孔を刺激する香の匂いで目を覚ました。気怠さが残る身体をゆったりと起こせば、部屋の隅に控えていた侍女から水にさらした麻布を手渡される。汗でぐっしょりと濡れた額や項を清めると、肌に吸い付いた冷気がひんやりと心地良い。
身支度を調えていると夢心地であった頭の中が徐々に冴えてきた。十にも満たない幼子であったわたしは遥か夢の中。今はあれから何年も経った未来。あの頃の自分には想像もできないほど恵まれた環境に置かれているが、ただひとつ惜しむべきなのは父のこと。
暖かな光は、呆気なく掻き消えた。
様々な深謀と計略の果て、悪徒の手により父の命は奪われてしまったのだ。
「様。丞相がお呼びでございます」
侍女から掛けられた声に小さく頷き、長い着物の裾を踏まぬよう静かに立ち上がった。
数年前、咸陽の一画で糊口を凌いでいたわたしたちはとある男に拾われた。かつて遠国で名を馳せていた亡父の才能を見込んで食客として迎え入れてくれたばかりか、身罷った後もわたしを捨てずにここに住まわせてくれているこの邸の主こそ、一介の武器商人から秦国の丞相まで成り上がった呂不韋という人物である。
「呂不韋様」
「おお。か」
力強くつり上がった眉に、眼光鋭い大きな眼。そしてなにより他を威圧する圧倒的な存在感。呂不韋と顔を合わせる時、わたしの鼓動は普段の倍以上に跳ね上がる。
思えばこうして面と向かって相見えるのは随分と久しい。彼は丞相としての政務に加え商人として遠方に出向くこともしばしば。邸に戻っていても何処ぞの貴人と商談を進めていたり、要人を招いて宴を催していたり、また艶麗な女人を侍っていたりしていたものだから。言葉を交わす機会など滅多に無いほど、家族であるはずのわたしたちの隔たりは大きかった。
「我が邸での暮らしはどうかね」
「はい。わたしのような才の無い者には身に余る生活でございます。何の不便も無く、往時の暮らしが嘘のようで。呂不韋様には深く感謝しております」
「はっはっは! そなたは儂を「亜父」と慕う割には、相変わらず随分と他人行儀よのう」
「も、申し訳……」
「まあよい」
食客として囲った父が亡くなった後も、呂不韋がわたしをここに住まわせているのは、何かしらの利用価値を見出してくれているということなのだろう。そんな大層な人間である自覚は無いが、そうでもなければ損得勘定で動くこの男がわたしを捨てずにいることに納得がいかない。
ともかく呂不韋にとって娘一人を世話する費用などはした金だ。だが行き場も身寄りもないわたしにとっては、そのような呂不韋の心遣いはこの上ない僥倖である。
「ところで、何か御用でしたか?」
往来で会話を交わすわたしたちに、すれ違う人々の視線が刺さる。それはなにも単なる興味ではなく、不才なわたしが呂不韋から恩情を受けていることに対する妬みのようなものも込められていた。この邸には食客や囲われた女性たちが多く出入りする。誰も彼も、呂不韋の眷顧にあずかろうと必死であるから、風采の上がらない娘が目をかけられていることが皆気に食わないのだ。
そのような気まずさから逃れるように用件を問うと、呂不韋は一歩こちらに近づいて。
「そうであった。おぬしには……さぞかし残念な知らせになるやもしれんが」
と言いかけて暫く口を噤んだ。
一瞬にして二人を取り巻く空気が重苦しいものに変化する。わたしは辟易してしまった。この人は不安を煽るように「わざと」間を置いてそう仰っているのだと、知っているから。これも彼なりの遊びなのであろうが、こちらにとっては寿命が縮まる思いだ。続く言葉を懇願するように不安そうな顔を作れば、呂不韋は深刻そうな表情を緩めぬまま口を開いた。
「近々この邸を出て行ってもらわねばならん」
「え」
心構えもしていなかったわたしに対して呂不韋の口から飛び出した言葉は、遊びにしては度が過ぎるものであった。周囲の空気がしんと静まり返る。
それは青天の霹靂だった。呂不韋はわたしに価値を見出してくれていると高を括っていた傲慢さを、見抜かれていたのかもしれない。思えばまもなく亡父の死から一年が経とうとしていたから、それまでが猶予であったのだろうか。
無論いつまでも呂不韋の権力を笠に着てここで自由に生きていくわけにいかないとは思っていたが、しかし唯一の身内であった父を喪った傷は大きく、未だその死から立ち直ることすらできていない。ようやく現実を受け入れられようとしていた時に、これまでの安寧がこうも一瞬にして刈り取られてしまうなんて思ってもみなかった。
わたしは常々、呂不韋へ恩を返すためにせめて彼の利となり得るような良い家に嫁ぎたいと口にしていた。侍女を通じてその意志は僅かでも呂不韋の耳にも入っていたことだろう。まもなく花嫁修業も始めようとしていたところだ。しかし呂不韋は「出て行ってもらわなければいけない」と言った。未だ笄礼も済ませていない、わたしを。
つまりは不要とされたのだ。邸を追い出され、再び乱世をさすらう身となると考えるだけで深い絶望に襲われる。以前は父が居たが今は独りだ。独りでは何もできやしない。頼れる人など誰も居ない。帰る故郷も居場所もどこにもない。ふと脳裏に野晒しになった自分の姿が映し出される。その刹那、背中に蟲が這ったような寒気を覚えた。
このまま何も抵抗せずに破滅の道を進むことなどできようか。そう思うと焦りに駆られ、わたしは我を忘れて呂不韋に縋るように詰め寄った。
「父のことはもう気持ちの整理はついております。だからどうか見捨てないでくださいませ。呂不韋様の為とあればわたしは――!」
必死にそう叫んだところで、呂不韋はぽんと手を叩いた。その瞬間、辺りを取り囲んでいた重苦しい空気がスッと消え去った気がした。否、呂不韋の表情が、仕草が、そう感じさせたのだろう。
今、目の前に居るのは普段通りの彼である。わたしを恐怖の底に突き落とすような、先程までの表情は持ち合わせていない。そこでようやく呂不韋の演技に嵌められたのだと判った。この人はわざと絶望をちらつかせ、こちらの反応を見ていたのだ。そうと判っても、溜め息ひとつ吐けないのが呂不韋の御前。溢れ出る遣る瀬無さを飲み込んで、彼の言葉に耳を傾ける。
「まあ待て。誰も見捨てるとは言っておらぬ。何もこの邸を離れるだけで、儂の手が及ぶ場所に居ることに変わりはない」
「それは、どういう意味でございましょうか」
「おぬしにはいずれ良家に嫁いで欲しいが、その頬が弛まぬうちは表に出す訳にもいかんのだ」
呂不韋はくるりと踵を返した。
「悲しい思い出の詰まったこの邸では気晴らしも充分にできぬであろう? 少しばかり、静かな田舎で羽を伸ばしてもらおうと思うてな」
その時のわたしは、きっと今までの人生で一番間抜けな顔をしていたことだろう。
わたしをこの邸の外へ出したがる呂不韋の真意は定かではないが、言葉通りに捉えれば、生活の環境を変えることで父を亡くしてから塞ぎ込んでいたわたしの心を開き、ゆくゆくは名家に輿入れするための修行も……ということらしい。
彼の言葉を深読みしては疑うことを繰り返していたが、今回ばかりは筋が通った言い分だと感じた。素直に受け入れても良いのだろう。しかし問題は預け先だ。
「案ずるな。我が四柱蒙武の邸だ。不便はかけぬ」
彼の言う四柱とは、何千と居る呂不韋の食客の中でも特に力を持つ四人の人物のことを差す。腹心の部下に預けられるに越したことはないが、肝心の引き受け手の名前──蒙武というその名を聞いてわたしは固まった。
蒙武はかの蒙驁将軍の息子にあたる人物だ。父子で武官を務めているが何も名家を盾にした苦労知らずの二代目ではない。山のように雄大な体躯と中華最強を自負する気骨稜稜、そして智を捩じ伏せる絶大的な武力を持つ将軍である。秦国で彼の名を知らぬ者はまずいないであろう。
何度か邸で宴が催された時に見かけたことがあるが、口を真一文字に結び、時折、重い瞼を持ち上げて眼光鋭い瞳をぎらつかせながら、誰とも会話を交わすことなく静かに酒を飲んでいた。とても喜んでわたしの身を引き受けてくれるような人物には見えない。
だが有無を言わさぬような呂不韋の視線に、首を縦に振るしかなかった。尤もわたしには断る理由なんて何も無いのだから。
「呂不韋様がそう仰るのならば」
「うむ。早速、手筈を整えるとしよう」
彼は満足そうに笑いながら、近くに居た女性の肩を抱き込んで去って行った。その姿を見送ったわたしもまた、憂鬱な気持ちのままその場を後にした。
自室に戻り、まずは明るいうちに荷物を整理してしまおうと腕を捲る。
父が生きていた頃の思い出の品は、布一枚で包めるほど小さい。この部屋に溢れているのは全て呂不韋がわたしに買い与えたものだ。きらびやかな着物と装飾品、宝石がふんだんにあしらわれた髪留め。金の刺繍が施された沓。
それは全てわたしではなく呂不韋を彩るための道具。内気な自分には似合うはずもない華やかなそれらを持って行く気にはなれなかったが、せっかく賜った物を蔑ろにするわけにもいかず仕方無く詰め込んだ。
「蒙武将軍……か」
荷物をまとめながら、かつてこの邸に来ていた蒙武の姿を思い出しては身震いした。それほど恐ろしかったのだ。わたしがもし敵国の兵で、蒙武が真正面の敵陣に居たのならば、すぐに戦意を喪失してしまうに違いない。まさかあの人の邸に赴くことになるなど、誰が想像できよう。ああ、考えるだけでも腹が痛い。
呂氏四柱と称される他の者──法家の学者である李斯は険のある人物だ。いくら呂不韋の養女であれ政務に忙しい彼には鬱陶しがられることは間違いない。御史大夫という位で秦国軍の総司令を担う昌平君という男も居るが、こちらは李斯よりも主に傾倒しておらず、ものをはっきり言う性分であるが故に鰾膠も無く撥ね付けられる光景が目に浮かぶ。残りは三代前昭襄王の時代に宰相を務めていた蔡沢だが外交官で秦には滅多に戻らない上に御老台であるからして呂不韋も頼み難いことだろう。残るは蒙武。彼は己の武力こそが中華最強であることを示す以外からきし興味が無いようで、四柱の中でも一際、呂不韋の脅威など何処吹く風といったような素振りもある。という要素を逆手に取ると、養女であるわたしを、長らく空けている邸で預かるよう頼まれたところで拒否をする理由も無い。つまるところ人選的に呂不韋が半ば無理矢理押し付けたと窺える。
とはいえ主の義娘を養うとなるとそれなりの費用や労力がかかる。呂不韋からある程度の支援はされるのだろうが、それにしたって蒙家の負担は確実に増えることは間違い無い。たとえ呂不韋の命であろうと面倒事を喜んで引き受けるような人物にも見えないから、わたしはきっと歓迎されないだろう。
馬車に乗るのは父と旅をしていた頃以来だ。いつか夢で見た懐かしい往時の光景が脳裏に浮かぶ。邸の前に停められた車には立派な二頭の馬が軛で繋がれている。痩せ細った駄馬一匹で旅をしていたあの時よりも何倍も豪華なものだった。見送りの侍女たちに頭を下げ、手を借りて高い車体に乗り込むと、乾いた鞭の音と共に馬車はおもむろに前進した。
わたしと馭者、それから驂乗ひとりを乗せた馬車は、咸陽の街並みを通り抜けて郊外へと進む。気がつけば周りの景色は広い畑と遠くに生い茂る深緑の森。戚里の囂然さとはかけ離れた田舎の風景だ。
荷物に背を預けて心地良い馬車の揺れに身を任せながら、想像もできない蒙家での生活への不安を募らせる。呂不韋も見慣れた侍女もいない場所で、果たしてわたしはどうやって過ごしていくのだろう。義理ではあれ呂不韋の身内であるから酷い扱いは受けないとは思うが、ほぼ確実に疎まれるはずだ。考え出したらきりがない。
短い旅路は瞬く間に終わりを告げる。「まもなく到着しますよ」という馭者の声を受け、馬車の小窓から顔を出して外の景色を見ると、遠くに一際目立つ大廈があった。馬車はそこへ真直ぐに進んでいる。あれがきっと蒙家だ。
門前に着くと数人の使用人がわたしを出迎えてくれた。手を借りて馬車から降りている横で、驂乗がわたしの荷物を当たり前のように使用人たちに手渡している。到着早々厚かましい振る舞いをしていることに申し訳なさを感じたが、手伝いを申し出たい気持ちを抑ええ、代わりに丁寧に手を包み礼を述べた。わたしは呂不韋の養女という立場でここに来ているのだから、彼の威厳を損ねないためにも、気丈に優雅に振る舞うべきである。
「今日からお世話になります。と申します」
「様、お待ちしておりました。どうぞこちらへ」
表門を通り過ぎても近くを流れる河川のせせらぎが耳に入るほど、この邸は田舎らしく心地良い静寂に包まれていた。
蒙武をはじめ一家の面々は総じて出払っているらしく、すれ違うのは使用人ばかり。そうとなれば、わたしの心は気楽なものだった。
与えられた一室は呂不韋の邸に比べれば狭く簡素な空間であったが、それでも独りで過ごすには十分な広さだ。履物の泥を拭い部屋に上がると、使用人は「ごゆっくりおくつろぎください」と頭を下げて出て行ってしまった。荷物を広げて書は棚に、衣は行李に仕舞い込み、一息つく頃には陽は南天を過ぎたところだった。
呂不韋の邸に居た頃は侍女に遊び相手になってもらったり、茫然と父との思い出に耽ることが多かったが、からっぽの部屋には娯楽のひとつも無く、また考え事をしようにも落ち着かない。生活に慣れる為に邸の案内でも頼もうかと思ったが、使用人たちはどうも忙しそうにしている。廊下を往来する足音を聞いていると、彼らの時間を食い潰しておきながら何も手を差し伸べない自分が酷く冷たい人間に感じられて、堪らず部屋から出た。
「あの……何かお手伝いすることはありますか?」
「いいえ。貴女は呂不韋様の大切なお客人。ここで心ゆくまでお休みになっていただければ」
わたしは生粋の貴人ではないから、手を汚すことに抵抗は無い。掃除や水汲み程度の作業であれば力になれるはずだ。
わたしをこの邸に預けるにあたり、呂不韋は蒙武にそれなりの対価を払っているのだろうが、それでも住まわせてもらう身として少しでも彼らの負荷を減らしたい。それにこのまま黙って座っているだけでは、わたし自身も変わらない。きっと呂不韋はこのことをも見越して蒙家に預けたのだと思う。より多くの人間と自発的な関わりを持たせるために、この性格を根本から立て直すために。
「呂不韋様はわたしを一人前に育てるために蒙家へ預けると決められたのだと思います。ここで朝から晩まで何もせずに過ごしていても、彼の方のお望みには応えられない」
長らく甘ったれて暮らしていたわたしには良い荒療治だ。多少無理強いをするように使用人にそう言えば「お気遣いは大変有り難いのですが、我々には判断ができかねます」と再び首を横に振られてしまった。
ならば呂不韋に文をしたためて許可を請えば良い。墨と牘を貸して欲しいと伝えると、使用人はわたしが字を綴れることに大層驚いていた。文字は父から授かった己の唯一。いずれ役に立つ時がくると言われて必死に覚えたのがまさか早くも功を奏すとは。
「呂不韋様から了承を得た暁にはどうかお手伝いをさせてください。幼き頃に亡父と各国を巡り歩いておりましたから、何か役に立てる知識があるかと思います。文字は勿論のこと、
その日は使用人に書信を託し、蒙家の庭を思う存分散策することにした。木陰で休む小鳥も、池に浮かぶ蓮の上で陽にあたっている蛙も、豪華絢爛な人工物で彩られた呂不韋の邸では見られないもので、どこか旅をしていた時代を思い出すような懐かしい景色に胸が温かくなる。
後日、届けられた返書にはわたしの望み通りの言葉が綴られてあった。
秦国にやってきてから三年。そして父の暗殺から一年。わたしは都の外れにあるこの蒙家の邸で暮らすこととなった。
始皇二年、未だ晩春の名残を感じられる爽やかな初夏の頃だった。